2015年6月12日金曜日
わたしの罪により キリストが十字架にかかり 贖ってくださった は 大嘘
キリストはトラーの罪によって罪無き方であるのに全き子羊として過ぎ越しの生贄として処刑されました。
よく勘違いされているのは 原罪と言う視点から見られる事が多いのですが トラーは完全であると書いてありますので 原罪も含んであるはずです。
ですから 罪は 的外れ と キリスト教会は教えていますが
これこそ 的外れで トラー 律法による罪を罪とバイブルでははっきり何度も言っています
ガラテヤ
2:19 わたしは、神に生きるために、律法によって律法に死んだ。わたしはキリストと共に十字架につけられた。
2:20 生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身
このような事は学者であればわかるはずですが そういってしまうと 何か不都合があるのかもしれません やはり キリスト教会ではキリストの購いの真相をを隠したいようです。
ローマ
7:7 それでは、わたしたちは、なんと言おうか。律法は罪なのか。断じてそうではない。しかし、律法によらなければ、わたしは罪を知らなかったであろう。すなわち、もし律法が「むさぼるな」と言わなかったら、わたしはむさぼりなるものを知らなかったであろう。
よくあなたの罪私の罪の為と言いますが トラー律法の罪の為です あなたの罪は限定的で 原罪をさしているように思います。トラーの言っている完全な罪の許しでなければなりません。トラー律法による罪>私の罪です 人間は原罪があるので罪が解らないと書いてあります ですから 律法なしに 感覚的な 罪だけでは わからない と言っているのです 罪が解らずに 何から 購い出された と言えるのでしょうか
罪とは何かローマ署にはっきり何度も書いてあります。
ローマ
5:5 そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。
5:6 わたしたちがまだ弱かったころ、キリストは、時いたって、不信心な者たちのために死んで下さったのである。
5:7 正しい人のために死ぬ者は、ほとんどいないであろう。善人のためには、進んで死ぬ者もあるいはいるであろう。
5:8 しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。
5:9 わたしたちは、キリストの血によって今は義とされているのだから、なおさら、彼によって神の怒りから救われるであろう。
5:10 もし、わたしたちが敵であった時でさえ、御子の死によって神との和解を受けたとすれば、和解を受けている今は、なおさら、彼のいのちによって救われるであろう。
5:11 そればかりではなく、わたしたちは、今や和解を得させて下さったわたしたちの主イエス・キリストによって、神を喜ぶのである。
5:12 このようなわけで、ひとりの人によって、罪がこの世にはいり、また罪によって死がはいってきたように、こうして、すべての人が罪を犯したので、死が全人類にはいり込んだのである。
5:13 というのは、律法以前にも罪は世にあったが、律法がなければ、罪は罪として認められないのである。
5:14 しかし、アダムからモーセまでの間においても、アダムの違反と同じような罪を犯さなかった者も、死の支配を免れなかった。このアダムは、きたるべき者の型である。
5:15 しかし、恵みの賜物は罪過の場合とは異なっている。すなわち、もしひとりの罪過のために多くの人が死んだとすれば、まして、神の恵みと、ひとりの人イエス・キリストの恵みによる賜物とは、さらに豊かに多くの人々に満ちあふれたはずではないか。
5:16 かつ、この賜物は、ひとりの犯した罪の結果とは異なっている。なぜなら、さばきの場合は、ひとりの罪過から、罪に定めることになったが、恵みの場合には、多くの人の罪過から、義とする結果になるからである。
5:17 もし、ひとりの罪過によって、そのひとりをとおして死が支配するに至ったとすれば、まして、あふれるばかりの恵みと義の賜物とを受けている者たちは、ひとりのイエス・キリストをとおし、いのちにあって、さらに力強く支配するはずではないか。
5:18 このようなわけで、ひとりの罪過によってすべての人が罪に定められたように、ひとりの義なる行為によって、いのちを得させる義がすべての人に及ぶのである。
5:19 すなわち、ひとりの人の不従順によって、多くの人が罪人とされたと同じように、ひとりの従順によって、多くの人が義人とされるのである。
5:20 律法がはいり込んできたのは、罪過の増し加わるためである。しかし、罪の増し加わったところには、恵みもますます満ちあふれた。
5:21 それは、罪が死によって支配するに至ったように、恵みもまた義によって支配し、わたしたちの主イエス・キリストにより、永遠のいのちを得させるためである。
2015年6月9日火曜日
動画によるブログ解説 騙されています キリスト教に ブログ解説
訂正とお詫び キリストは金曜日の安息日の昼に処刑され日曜日に蘇ったは
聖書の記述が正確でないため一部証明できない箇所があります 正確に調べて後ほどお知らせします
マタイ 26:17 さて、除酵祭の第一日に、弟子たちはイエスのもとにきて言った、「過越の食事をなさるために、わたしたちはどこに用意をしたらよいでしょうか」。
レビ
23:5 正月の十四日の夕は主の過越の祭である。
23:6 またその月の十五日は主の種入れぬパンの祭である。あなたがたは七日の間は種入れぬパンを食べなければならない
23:5 正月の十四日の夕は主の過越の祭である。
23:6 またその月の十五日は主の種入れぬパンの祭である。あなたがたは七日の間は種入れぬパンを食べなければならない
使途信条では贖いは成立しない
使途信条では贖いは成立しない
使途信条でポンテオピラトに十字架に付けられた事になっていますが
キリストは律法を全うする為 成就させるために来たと言っておられます。ローマ人であるピラトの外国人による外国の法律により処刑されたのであれば罪なき 全き 子羊で 律法の裁きにより 過ぎ越しの日に律法により処刑されなければ 律法の成就にはいたりません。
これ 聖書を読めば常識です。 外国人によって 処刑されても律法の成就にはいたりませんから 贖いは成立しません そこを言わなければ贖いの意味が無いので無力化されているだけです。
...
使途信条でポンテオピラトに十字架に付けられた事になっていますが
キリストは律法を全うする為 成就させるために来たと言っておられます。ローマ人であるピラトの外国人による外国の法律により処刑されたのであれば罪なき 全き 子羊で 律法の裁きにより 過ぎ越しの日に律法により処刑されなければ 律法の成就にはいたりません。
これ 聖書を読めば常識です。 外国人によって 処刑されても律法の成就にはいたりませんから 贖いは成立しません そこを言わなければ贖いの意味が無いので無力化されているだけです。
...
例のテレビでおなじみのアホおじさんが youtubeで説明していますが
このような ニケア信条 381年に作られた キリストの弟子の教えとは無関係なものを教理とし弟子の教えとしています。コンスタンチヌスが統治しやすいよう変質させたもので ご丁寧に キリスト教が キリストの贖いの意味をずらし 反キリストに 貢献しているわけですからお笑いです。
このような ニケア信条 381年に作られた キリストの弟子の教えとは無関係なものを教理とし弟子の教えとしています。コンスタンチヌスが統治しやすいよう変質させたもので ご丁寧に キリスト教が キリストの贖いの意味をずらし 反キリストに 貢献しているわけですからお笑いです。
キリステ教のみなさん今日は 今日も聖書を読んでいますか
キリステ教のみなさん今日は 今日も鼻くそをほじりながら聖書を読んでいますか
訂正とお詫び キリストは金曜日の安息日の昼に処刑され日曜日に蘇ったは
聖書の記述が正確でないため一部証明できない箇所があります 正確に調べて後ほどお知らせします
マタイ 26:17 さて、除酵祭の第一日に、弟子たちはイエスのもとにきて言った、「過越の食事をなさるために、わたしたちはどこに用意をしたらよいでしょうか」。
レビ
23:5 正月の十四日の夕は主の過越の祭である。
23:6 またその月の十五日は主の種入れぬパンの祭である。あなたがたは七日の間は種入れぬパンを食べなければならない
常識とされているうことですが↓ これらは 真っ赤なうそです。
これを↓否定すればキリスト教ではなくなるらしいですが
聖書を読めば解はずです。ただし 鼻くそをほじりながら似非牧師の教理だけ聞いているだけの信仰心の無い自分で考えない阿保にはわかりません。いわゆる 洗脳状態で言われたことをオウム返しにするだけです。生活に信仰の無い人の証明なのです 残念ながら 牧師をはじめほとんどがそういう人たちばかりになっていました。
キリストはワタスの罪のために十字架にかかりました。
★ポンテオピラトにより十字架にかかりました。
★神は三位一体である
罪とは的外れと言う意味である
ユダヤ教から出たのがキリスト教である
キリスト教はキリストの弟子から始まった
★キリストは金曜日の安息日の昼に処刑され日曜日に蘇った
十一献金はマラキに書いてある
これらは全て嘘です 何の根拠もありません どれひとつ聖書にも書いてありません。
ぜひ どこに書いてあるか 探してみてください。あったらおしえてください
キリストはワタスの罪のために十字架にかかりました。
どこにワタシの罪と書いてありますか?新訳で探しましたが一箇所もありません
ポンテオピラトにより十字架にかかりました。
ピラトは私には関係が無いといって手を洗っています。
罪とは的外れと言う意味である
罪とは律法の指すものとかかれています
ユダヤ教から出たのがキリスト教である
キリストは終始ユダヤ教の学者と対立しています。
ユダヤ教から出たのがキリスト教である
キリスト教会の始祖はペテロだそうですがパウロは無割礼のもの ペテロは割礼のもの
つまりペテロはユダヤ人や北イスラエルに使わされたといっていますからこれも聖書にはありません。
キリストは金曜日の安息日の昼に処刑され日曜日に蘇った
ヨナのしるしは3日3夜ですから日にちが合いません これには重要な意味が隠されています。
十一献金はマラキに書いてある
十一献金はレビにせよと書いてあります。レビは今キリストが大祭司を勤めているので
レビはいません
これは実際聖書に書いてあることです 本当かどうか 鼻くそをほじくりながら調べてみてください
バカさ加減がわかります
★は後に決められたことですキリストの教えとは関係がありません。
ひとつづつ 記事にしていきます
訂正とお詫び キリストは金曜日の安息日の昼に処刑され日曜日に蘇ったは
聖書の記述が正確でないため一部証明できない箇所があります 正確に調べて後ほどお知らせします
マタイ 26:17 さて、除酵祭の第一日に、弟子たちはイエスのもとにきて言った、「過越の食事をなさるために、わたしたちはどこに用意をしたらよいでしょうか」。
レビ
23:5 正月の十四日の夕は主の過越の祭である。
23:6 またその月の十五日は主の種入れぬパンの祭である。あなたがたは七日の間は種入れぬパンを食べなければならない
常識とされているうことですが↓ これらは 真っ赤なうそです。
これを↓否定すればキリスト教ではなくなるらしいですが
聖書を読めば解はずです。ただし 鼻くそをほじりながら似非牧師の教理だけ聞いているだけの信仰心の無い自分で考えない阿保にはわかりません。いわゆる 洗脳状態で言われたことをオウム返しにするだけです。生活に信仰の無い人の証明なのです 残念ながら 牧師をはじめほとんどがそういう人たちばかりになっていました。
キリストはワタスの罪のために十字架にかかりました。
★ポンテオピラトにより十字架にかかりました。
★神は三位一体である
罪とは的外れと言う意味である
ユダヤ教から出たのがキリスト教である
キリスト教はキリストの弟子から始まった
★キリストは金曜日の安息日の昼に処刑され日曜日に蘇った
十一献金はマラキに書いてある
これらは全て嘘です 何の根拠もありません どれひとつ聖書にも書いてありません。
ぜひ どこに書いてあるか 探してみてください。あったらおしえてください
キリストはワタスの罪のために十字架にかかりました。
どこにワタシの罪と書いてありますか?新訳で探しましたが一箇所もありません
ポンテオピラトにより十字架にかかりました。
ピラトは私には関係が無いといって手を洗っています。
罪とは的外れと言う意味である
罪とは律法の指すものとかかれています
ユダヤ教から出たのがキリスト教である
キリストは終始ユダヤ教の学者と対立しています。
ユダヤ教から出たのがキリスト教である
キリスト教会の始祖はペテロだそうですがパウロは無割礼のもの ペテロは割礼のもの
つまりペテロはユダヤ人や北イスラエルに使わされたといっていますからこれも聖書にはありません。
キリストは金曜日の安息日の昼に処刑され日曜日に蘇った
ヨナのしるしは3日3夜ですから日にちが合いません これには重要な意味が隠されています。
十一献金はマラキに書いてある
十一献金はレビにせよと書いてあります。レビは今キリストが大祭司を勤めているので
レビはいません
これは実際聖書に書いてあることです 本当かどうか 鼻くそをほじくりながら調べてみてください
バカさ加減がわかります
★は後に決められたことですキリストの教えとは関係がありません。
ひとつづつ 記事にしていきます
2015年6月8日月曜日
ユダヤ教とキリスト教 は キリスト自身に対抗する
ユダヤ教とキリスト教 ユダヤ教が旧約聖書で キリスト教が新約聖書
ユダヤ教は 律法(情けが無く融通が利かない)ので キリストの愛がわからずキリストをを殺した
と言うのが通説ですキリストはユダヤ教の無慈悲によって殺されたのですと彼らはいっているのです。
しかし真実はそうではなく ユダヤ教がモーセの教えと異なっていたことから 始まります。
例えば わかりやすい例をあげると モーセは大祭司しか帽子をかぶるなと言っていますが ユダヤ教はみんな被っています
メノラーはろうそくで作っていますが モーセはランプで作れといっています
アブラハムは御使いを ミルクと肉でもてなしていますが ユダヤは厳格に分けて食事しています。
アブラハムは御使いを ミルクと肉でもてなしていますが ユダヤは厳格に分けて食事しています。
簡単な例を挙げればわかるようにヘブライ信仰(モーセ)の教えを随分歪めたのがユダヤ教です
その他にもタルムッドというものがあり 関係ない教えを付け加えています。
その他にもタルムッドというものがあり 関係ない教えを付け加えています。
キリストはヘブライ信仰から出ています から これら ユダヤ教の付け加えられた教理と対立しています。本当に殺された理由はそこにあります。
構図は ヘブライ信仰 本物のキリスト vs ユダヤ教 キリスト教 ということになります。
キリスト教の母体はユダヤ教になっていますキリスト教が対立するキリストを崇めているのですから矛盾しているのです。
キリスト教の母体はユダヤ教になっていますキリスト教が対立するキリストを崇めているのですから矛盾しているのです。
本物のキリストはユダヤ教 キリスト教 に 対立しています
ですから キリスト教は 反キリストになります。キリスト教のイエスは偽の救世主です。
ヨハネ
5:43 わたしは父の名によってきたのに、あなたがたはわたしを受けいれない。もし、ほかの人が彼自身の名によって来るならば、その人を受けいれるのであろう。
理由はイエスという偽の名前にあります。
5:43 わたしは父の名によってきたのに、あなたがたはわたしを受けいれない。もし、ほかの人が彼自身の名によって来るならば、その人を受けいれるのであろう。
理由はイエスという偽の名前にあります。
偽yehshua yehの救いという名前 yeh は異教の神の名前
本者 yahoshua まえの2字が違う ya hoshuaは ヤウエ救いという名前
ヤホッシュア→ ヤシュア が本当の名前です。
ヤホッシュア→ ヤシュア が本当の名前です。
2015年6月3日水曜日
神社に油を塗る アホ牧師 油は祝福されたものに 注がれるものは祝福されたものだ
http://www.sankei.com/affairs/news/150602/afr1506020011-n1.html
最近ド が付くほど あきれはてています。 殆どが キリスト教って こんな ものです
反社会的行為もそうであるが どこに 偶像や関係ない所に油を注げとかいてありますか
油注ぐのは 御霊による祝福 他宗教や偶像を 追い払うならまだ 水をかけるとかなら解る
こういう どこにもバイブルに書いていないことを 平気で信じ新しい教理を作り出し
付け加える新興宗教キリスト教 なのですが。
私がクリスチャンだったころ クリスチャンに物を貸したり 約束をしたり した事がありますが
90%以上の確立で 貸したものは帰ってこず 約束は連絡もなしに 破られます
人に質問を始めたかと思えば こちらが 答え半分で逃げ去ったり
この程度のクズの人間の集まりなのです 通常の社会でも通用しない どう見ても基地外です
自覚が無いのは自分がクズだからわからないと言うのが本当のところです。
最近SNSで牧師などが色々書いたり親しげにしていますが ほとんど 自教会への勧誘目的で御言葉の説明などサラサラする気なども持ち合わせてないようです。
と言うかバイブルを殆ど読んでおらずドシロウトがほとんどです。
本当に最近気を使わずにクズと言えるようになってしまいました。
最近ド が付くほど あきれはてています。 殆どが キリスト教って こんな ものです
反社会的行為もそうであるが どこに 偶像や関係ない所に油を注げとかいてありますか
油注ぐのは 御霊による祝福 他宗教や偶像を 追い払うならまだ 水をかけるとかなら解る
こういう どこにもバイブルに書いていないことを 平気で信じ新しい教理を作り出し
付け加える新興宗教キリスト教 なのですが。
私がクリスチャンだったころ クリスチャンに物を貸したり 約束をしたり した事がありますが
90%以上の確立で 貸したものは帰ってこず 約束は連絡もなしに 破られます
人に質問を始めたかと思えば こちらが 答え半分で逃げ去ったり
この程度のクズの人間の集まりなのです 通常の社会でも通用しない どう見ても基地外です
自覚が無いのは自分がクズだからわからないと言うのが本当のところです。
最近SNSで牧師などが色々書いたり親しげにしていますが ほとんど 自教会への勧誘目的で御言葉の説明などサラサラする気なども持ち合わせてないようです。
と言うかバイブルを殆ど読んでおらずドシロウトがほとんどです。
本当に最近気を使わずにクズと言えるようになってしまいました。
2015年5月28日木曜日
クリスチャンの言う罪の許しとは
クリスチャンの言う罪の許しとは
何から話せばいいのか わかりませんが
でも それ
私 その方に お世話になったので
ふつうの一般人の人が ギャングに殺されても
よく クリスチャンの方からこういう話を聞いたことがある方が多いと思います
下のような例は引用の部分 もともと 聖書から出た話ではありません 聖書では信仰による義と言っています ですからこの殺人ギャングがキリストを信じれば 罪が許されると言う事ですが このギャングがキリストを受け入れなければ罪は許されない事になります 勝手に自分で新しい律法を作り許すとかどうかを 決めているのであり とんだ見当違いナ事を言っているのが本当です 但し犯人がキリストの信仰者のときは変わりますが 信仰者が殺人をするのであれば 信仰は疑われますので容易に許すとか 言わないほうが言いかと思います
信仰による義と書かれていますので信仰がなくして許されることはありません 信じれば許されるのであyるって
許されるから信じると言うのは御心ではありません。 殺してはならないとはっきり書いてあります。
このような許しは新興宗教といえます言っておきますがガラテヤから少し新しい契約の内容が変わっています
最初に誤解なきよう言っておきますがガラテヤから少し新しい契約の内容が変わっています 簡単に言えば 律法の規定の廃止ということなのですが 今回は説明しません
律法をすべて守り成就させるためです。罪なき子羊↓
5:17 わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。
5:18 よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。
22:36 「先生、律法の中で、どのいましめがいちばん大切なのですか」。
22:37 イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。
↓何を言っているのか申命記の参照6:5 あなたは心をつくし、精神をつくし、力をつくして、あなたの神、主を愛さなければならない。
6:6 きょう、わたしがあなたに命じるこれらの言葉をあなたの心に留め、
6:7 努めてこれをあなたの子らに教え、あなたが家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時も、これについて語らなければならない。
どういっていますか?戒めを
愛せよといっておられますね?
外国人に救いが言った理由↓
2:12 そのわけは、律法なしに罪を犯した者は、また律法なしに滅び、律法のもとで罪を犯した者は、律法によってさばかれる。
はきり律法の罪と書いてあります 信仰の儀ということで律法を守ることの儀ではなく といっています
2:19 わたしは、神に生きるために、律法によって律法に死んだ。わたしはキリストと共に十字架につけられた。
2:20 生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。
2:21 わたしは、神の恵みを無にはしない。もし、義が律法によって得られるとすれば、キリストの死はむだであったことになる。
まとめると規定以外の律法 御心 を 信仰を持って守りなさい といっているのです
守ったか破ったかという書き方はしてありません。
聖書の言う罪とは
最初に誤解なきよう言っておきますがガラテヤから少し新しい契約の内容が変わっています 簡単に言えば 律法の規定の廃止ということなのですが 今回は説明しません
律法をすべて守り成就させるためです。罪なき子羊↓
5:17 わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。
5:18 よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。
22:36 「先生、律法の中で、どのいましめがいちばん大切なのですか」。
22:37 イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。
↓何を言っているのか申命記の参照6:5 あなたは心をつくし、精神をつくし、力をつくして、あなたの神、主を愛さなければならない。
6:6 きょう、わたしがあなたに命じるこれらの言葉をあなたの心に留め、
6:7 努めてこれをあなたの子らに教え、あなたが家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時も、これについて語らなければならない。
どういっていますか?戒めを
愛せよといっておられますね?
外国人に救いが言った理由↓
2:12 そのわけは、律法なしに罪を犯した者は、また律法なしに滅び、律法のもとで罪を犯した者は、律法によってさばかれる。
はきり律法の罪と書いてあります 信仰の儀ということで律法を守ることの儀ではなく といっています
2:19 わたしは、神に生きるために、律法によって律法に死んだ。わたしはキリストと共に十字架につけられた。
2:20 生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。
2:21 わたしは、神の恵みを無にはしない。もし、義が律法によって得られるとすれば、キリストの死はむだであったことになる。
まとめると規定以外の律法 御心 を 信仰を持って守りなさい といっているのです
守ったか破ったかという書き方はしてありません。
聖書の言う罪とは
以下引用 阿修羅掲示板より
私は キリスト教の教会に通っていた時期がありました
私は 洗礼を受けたキリスト教徒だったのです
20年くらい前ですけどね 通っていたのは意が
約3年間 通っていました
何から話せばいいのか わかりませんが
キリスト教の 罪の許し(赦し)につきますかな
そこの牧師さんが
キリスト教の罪の許し(赦し)の話しを しました
その方は アメリカに滞在されていたことがありまして
アメリカで
何の罪のない一般人の人が
ギャングに殺されたらしいのです
道でからまれた とかそういう話しだったと思いますが
で、殺された息子の親御さんが 敬虔なクリスチャンだったらしいのですが
息子を殺したギャングを その親御さんは無条件に許したらしいのです
殺したのに 反省を全くしてない勝ち組ギャングをです
そして その牧師さんは 息子を道でからんで殺したギャングを無条件に許した その親御さんに対して
それを 素晴らしいみたいなことを 言っていたんですよ
でも それ
素晴らしいんですかね・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ちなみに その牧師さん
今、中学の教師をされてるらしいんですよ
わりあい 有名な中学です
いや、べつにそこまで出世されたこと自体はいいんですが
それ 生徒の子たちに その話し 今もしてるんですか
私 その方に お世話になったので
お世話になりすぎたので
そのギャングの件の 罪の許しのこと
20年経っても ずっと引きずっているんですよ
ええ
キリスト教徒をやめて 20年くらいになるのに
20年経っても その呪縛が解けないんですよ
ずっと鍵がかかったような状態が 続いてるのです
私 70や80になっても 死んでも この呪縛 一生解けないんですよ
ふつうの一般人の人が ギャングに殺されても
親が信仰に従って それを許すことが 素晴らしいことなのだから
例えば 自分の奥さんや娘が
ヤンキーやヤクザたちに 次々と身体を奪われ 輪姦をされて
どうにもならない餌食にされても
やっぱり それを許すことは 素晴らしいんですよね
同じことですよね 違うってことないですよね
それが 「キリスト教」ですよ
それはおかしいだろー と思われる方もいらっしゃるかと思いますが
これが 「キリスト教」なんですよ
登録:
投稿 (Atom)