2015年5月28日木曜日

クリスチャンの言う罪の許しとは

クリスチャンの言う罪の許しとは
よく クリスチャンの方からこういう話を聞いたことがある方が多いと思います

下のような例は引用の部分  もともと 聖書から出た話ではありません 聖書では信仰による義と言っています ですからこの殺人ギャングがキリストを信じれば 罪が許されると言う事ですが このギャングがキリストを受け入れなければ罪は許されない事になります 勝手に自分で新しい律法を作り許すとかどうかを 決めているのであり とんだ見当違いナ事を言っているのが本当です 但し犯人がキリストの信仰者のときは変わりますが 信仰者が殺人をするのであれば 信仰は疑われますので容易に許すとか 言わないほうが言いかと思います
信仰による義と書かれていますので信仰がなくして許されることはありません 信じれば許されるのであyるって
許されるから信じると言うのは御心ではありません。 殺してはならないとはっきり書いてあります。

 キリスト教の罪に対しての考え方
http://www.nishikobe-kyokai.or.jp/chfaq/chfaq00054.htm
このような許しは新興宗教といえます言っておきますがガラテヤから少し新しい契約の内容が変わっています

最初に誤解なきよう言っておきますがガラテヤから少し新しい契約の内容が変わっています 簡単に言えば 律法の規定の廃止ということなのですが 今回は説明しません

律法をすべて守り成就させるためです。罪なき子羊↓
5:17 わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。
5:18 よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。


22:36 「先生、律法の中で、どのいましめがいちばん大切なのですか」。
22:37 イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。

↓何を言っているのか申命記の参照6:5 あなたは心をつくし、精神をつくし、力をつくして、あなたの神、主を愛さなければならない。
6:6 きょう、わたしがあなたに命じるこれらの言葉をあなたの心に留め、
6:7 努めてこれをあなたの子らに教え、あなたが家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時も、これについて語らなければならない。

どういっていますか?戒めを
愛せよといっておられますね?

外国人に救いが言った理由↓
2:12 そのわけは、律法なしに罪を犯した者は、また律法なしに滅び、律法のもとで罪を犯した者は、律法によってさばかれる。
はきり律法の罪と書いてあります 信仰の儀ということで律法を守ることの儀ではなく といっています
2:19 わたしは、神に生きるために、律法によって律法に死んだ。わたしはキリストと共に十字架につけられた。
2:20 生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。
2:21 わたしは、神の恵みを無にはしない。もし、義が律法によって得られるとすれば、キリストの死はむだであったことになる。

まとめると規定以外の律法 御心 を 信仰を持って守りなさい といっているのです
守ったか破ったかという書き方はしてありません。


聖書の言う罪とは

以下引用 阿修羅掲示板より
私は キリスト教の教会に通っていた時期がありました
私は 洗礼を受けたキリスト教徒だったのです
20年くらい前ですけどね 通っていたのは意が
約3年間 通っていました

何から話せばいいのか わかりませんが
キリスト教の 罪の許し(赦し)につきますかな
そこの牧師さんが
キリスト教の罪の許し(赦し)の話しを しました
その方は アメリカに滞在されていたことがありまして
アメリカで
何の罪のない一般人の人が
ギャングに殺されたらしいのです
道でからまれた とかそういう話しだったと思いますが
で、殺された息子の親御さんが 敬虔なクリスチャンだったらしいのですが
息子を殺したギャングを その親御さんは無条件に許したらしいのです
殺したのに 反省を全くしてない勝ち組ギャングをです
そして その牧師さんは 息子を道でからんで殺したギャングを無条件に許した その親御さんに対して
それを 素晴らしいみたいなことを 言っていたんですよ 

でも それ
素晴らしいんですかね・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ちなみに その牧師さん
今、中学の教師をされてるらしいんですよ
わりあい 有名な中学です
いや、べつにそこまで出世されたこと自体はいいんですが
それ 生徒の子たちに その話し 今もしてるんですか

私 その方に お世話になったので
お世話になりすぎたので
そのギャングの件の 罪の許しのこと
20年経っても ずっと引きずっているんですよ
ええ
キリスト教徒をやめて 20年くらいになるのに
20年経っても その呪縛が解けないんですよ
ずっと鍵がかかったような状態が 続いてるのです
私 70や80になっても 死んでも この呪縛 一生解けないんですよ

ふつうの一般人の人が ギャングに殺されても
親が信仰に従って それを許すことが 素晴らしいことなのだから
例えば 自分の奥さんや娘が
ヤンキーやヤクザたちに 次々と身体を奪われ 輪姦をされて
どうにもならない餌食にされても
やっぱり それを許すことは 素晴らしいんですよね
同じことですよね 違うってことないですよね

それが 「キリスト教」ですよ
それはおかしいだろー と思われる方もいらっしゃるかと思いますが
これが 「キリスト教」なんですよ

0 件のコメント:

コメントを投稿