2015年5月28日木曜日

救いとは

キリスト教の救いとは 実生活に置ける救いと 根源的な救いと言っていますが
聖書に書いてあるのは 律法の罪からの救いとはっきり書いてあります。
パウロはトラーは完全であると言っているので原罪も含まれることになります。
トラーの指し示しているものが解らなければ何から救われたのかさえ解りません。
トラー律法の罪の死からの救いというのは明白です。
まとはずれ  とは ごまかしです 
 
律法的という言葉
キリストは律法をすべて守っておられました 守っていなければ義の供え物全き子羊には成りえません
律法トラーはアバヤウエの御心なので本来裁く為の法と言う意味ではありません
トラー的律法的とはキリスト的と言う意味です。
律法的と言って批判する事はキリストを批判する言葉です
この事にお気づきでしょうか? うそだと思うならよく調べてください
律法はキリストの贖いによって成就していますので契約は変わってはいますが律法的と言って批判することが
いかにばかばかしい事かわかるはずです

0 件のコメント:

コメントを投稿